2019年2月14日木曜日

じゃぽん美術帳 其二・歌川国貞

Art Book Japon II Kunisada Utagawa




歌川国貞・今様美人揃 柏屋楼 お谷 
文久三年(1863)ボストン美術館蔵



以前紹介した、マネによる小説家ゾラの肖像(1868)に描き込まれた相撲絵の作者は歌川国明でしたが、国明は三代目歌川豊国(国貞)の弟子でした。国貞は初代歌川豊国の弟子です。歌川派の始祖は、豊国の師匠である歌川豊春。豊春は西洋絵画の遠近法を研究し、浮世絵に奥行きの表現を取り入れて、のちの広重や北斎が発展させる作風の基礎をつくりました。その広重らの作品が今度は欧州に伝えられて、近代芸術の展開に大きな影響を与えることになります。




「阿蘭陀フランスカノ伽藍之図」 豊春
豊春が西洋の銅版画を元に製作した浮世絵。






国貞は当時広重にもまさる人気作家であったそうです。かれの作品にからめて、いくつかの東京の場所について書いてみたいと思います





愛宕山
あたごやま



東都名所合・愛宕山 安政一年(1854)



曲垣平九郎
まがきへいくろう



この絵からは、高さで足がすくんでおよび腰になっている女性の視点が感覚的によく伝わってきます。この階段は「出世の石段」として知られています。
愛宕神社は全国に数多くの分社をもち、総本社は京都にあります。東京の愛宕神社は23区内で一番高い海抜26メートルの愛宕山の頂きにあり、北に皇居霞が関・日比谷公園、南に徳川家の菩提寺・芝東照宮のある芝公園や東京タワーをのぞむ位置にあります。

京都の総本社のほうは上方落語の「愛宕山」の舞台になっていますが、東京の愛宕神社は、講談の「寛永三馬術」に出てくる曲垣平九郎の故事で知られています。

寛永十一年(1634)に徳川幕府の三代将軍家光が、将軍家の菩提寺である増上寺に参詣した帰りみちに、愛宕神社の下を通りかかります。そのとき愛宕山に咲く梅の花を目に止めた家光は、馬に乗ったままで石段をのぼってとってくるように家来たちに命じました。

だれも名乗り出る者がない中で、まったく無名の者が石段を馬で駆け上がり、梅の枝を手折ってもどりました。家光は平九郎を讃え、かれの名声はまたたくまに知れ渡ったといいます。この石段は急なものですが、明治・大正・昭和と実際に挑戦して成功した馬術家たちがおり、昭和のときはテレビ番組の企画でその模様が放送されたそうです。







「曲垣平九郎」の物語が、藤子不二雄A(安孫子素雄)の自伝的作品「まんが道」あすなろ編にちらりと登場します。終戦直前の昭和十九年(1944)小学五年生のときに転校して、のちに「ドラえもん」を描くことになる藤子・F・不二雄(藤本弘)と出会った我孫子さんは、藤本さんの漫画の才能にひかれて友達同士になりました。


ある時ふたりは、藤本さんがつくった手作り映写機「幻灯機」で上映する絵物語をお互いにつくろうと言い合いました。どうしても案が浮かばない我孫子さんが自分のうちにあった「曲垣平九郎」の絵本の挿絵を模写する、という場面があります。

当時の子供にはなんらかの形で、講談を通じてではないかもしれないが、まだこの物語がなじみのものであった可能性があるということですね。戦後の世代にとっては、このお話はちょっと縁のないものになっていると思います。しかし、昨今また講談に光が当たりつつありますから、それもまたすこし変わってくるのかもしれません。



日本橋

にほんばし




東海道・日本橋  文久三年(1863)



日本橋川にかかる古い橋。この橋と日本橋の町は東京駅をはさんで皇居の反対側で、東京湾のがわにあります。橋を渡り、神田駅の高架橋下をくぐって北に向かうと、1.5キロほどで神田川にかかる万世橋に至り、そこを渡ると秋葉原に出ます。日本橋川は神田川の支流で、永代橋のほとりで隅田川に注ぎます。




広重ー東海道五十三次・日本橋・朝之景
天保三年/四年(1833・34)



この絵を名高い広重の日本橋の絵とくらべると中々おもしろく、つくられたのは後の年代ですが、時間的に直前の場面のように見えます。大名行列が太鼓橋のむこうから見えてくるところを描くことで、動きのなかの瞬間であることが示唆されています。「ザッザッ」という行列の足音や、人々のざわめきを書き入れれば、漫画の一コマにもなりそうな絵柄です。


日本橋は徳川家康が江戸幕府をひらいた1603年に架けられ、五街道の起点としておかれました。代々、木製の橋が架け替えられましたが、1911年(明治44年)にようやく今の石橋がつくられました。震災や戦火もくぐりぬけたこの橋は重要文化財にも指定されましたが、東京五輪を翌年にひかえた1963年に首都高がその上を覆ってしまいました。2018年、橋の上の空を開放するため、首都高の地下化が五輪後に着工されることが決まりました。


日本橋は現代でも、七本の国道の起点として、日本の中心としての位置を占めています。首都高の地下化は3200億円を要し、完成までには10年以上の年月が必要だと見込まれています。工事が完了した暁には、日本橋は新しく日本の名所として生まれ変わるのでしょうか。







錦絵でたのしむ江戸の名所・歌川国貞
http://www.ndl.go.jp/landmarks/artists/utagawa-kunisada-1/
愛宕神社公式サイト
http://www.atago-jinja.com/trivia/
日本橋の真上に首都高・・・意外と知られていない真相
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180910-OYT8T50013.html
Otani at the Kashiwaya-rô - Museum of Fine Arts Boston
https://www.mfa.org/collections/object/otani-at-the-kashiwaya-r%C3%B4-from-the-series-an-assortment-of-beauties-in-the-modern-style-imay%C3%B4-bijin-zoroe-464428

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